
人それぞれ考え方は違うので、
あまり世代縛りで決めつけるのは好きじゃないが、
確かに世代間で働き方に対する考え方の違いはあると思う。
働き方が違うというより、
働く上での動機付け、つまりモチベーションの源泉が違うなというのは
日頃からよく感じる。
「組織に対しても社会に対してもクールに接しているが、
社会貢献とか環境には関心がある。
基本的にまじめで仕事は一生懸命やる」
「団塊ジュニア(71~74年生まれ)より数が少ないこともあってか、
あまり競争をしない。がつがつしていない」
以下は、見出しだけを拾ったもの。
前後の文脈を無視しているので、
そのまま引用するには語弊のある部分も多いのだが。
「人生の修行だと思って割り切って働いている」
「給料が安くてもやりがい。大組織に頼らず生きる」
「やりたくない仕事は断る。やりたい仕事しかやらない」
「早くカネから解放されたいから年収にはこだわる」
「仕事は定時キッカリ。会社以外の居場所を持つ」
「アラサー男性は頼れる女性が好き」
「クレーマーの顧客のために必死で働く意味を感じない」
「外資系で学ぶことは多いが生涯の仕事にはしたくない」
「働く方も自分流。社会になんか期待しません」
「親世代はうらやましくない。自分は出世欲も金銭欲も少ないから」
「「家族のために」は欺瞞。まずは自分のため」
「家族のため」なんて自由が怖い人の言い訳だ」
「一人でも生きていけるようになりたい」
「目的のために一人コツコツ頑張るのは好き。
でも他人を押しのけるような仕事はしたくない」「主婦も意外と楽しい。中小企業を経営している感覚?」
「スーパースター型のリーダーはもう古い」
うーん・・・
私はそんなに気概に欠けた年代だとは思わないけど。
内に秘めた強いものは確かにあるような。。
ただ何に価値を置くべきかがわかりづらくなっていることだけは確かだ。
私は昨年ベトナムに関する事業をやっていて、
かなりの数のベトナム人の若者と会ったが、
彼らは皆、判で押したようにまったく同じことを口にした。
「日本で勉強して国に帰ったら会社を興して社長になりたい」
「お金持ちになりたい。家族に豊かな生活を送らせてあげたいから」
自分たちが頑張ること=皆が幸せになれること
この方程式が皆きれいに描けていた。
日本の団塊の世代もきっとこんな感じだったんだろうな。。
今の日本には、残念ながらこういう"定型パターン"が見付からない。
だから自分で探すしかない。
だからフリーランスなどの「ダイバーシティ(働き方の多様化)」は
これからのキーワードになると思う。
っていうかさ・・・
明確なゴール設定をしても、
そこにたどり着ける者とそうでない者とがいるのに、
「自分は何を目指すのか?」というところから
それぞれ自分で決めなければならないなんて・・・
私たちはなんて贅沢で、そしてなんて困難な国に生まれたのかしら。。

昨日は自宅で一日早いクリスマスパーティ。
食材を買い込んで自宅へ戻る途中、
ふと見上げた東京タワーにハートが浮かんでいるのを見つけて、
ちょっと幸せな気分になったから、皆様にもおすそ分け・・・
お昼に会っていた友人と
2009年の自分にとっての漢字一文字は?という話をしていて、
私は、ある人から「独」なんて言葉をいただいたのだけれど、
("独立"したのと、今年もやっぱり"独身"だったから!・・・苦笑)
それでも、私としましては、
今年の漢字を「愛」とさせていただきます!
だって、今年ほど多くの人からの「愛」を感じた年はなかったから。
この一年、本当に沢山の人に助けてもらって、
沢山の懐かしい顔と、沢山の新しい顔に出会ったと思う。
と同時に、
自分自身が何に向かって「愛」を発してるかも知った一年だった。
「愛」って別に恋愛のことだけじゃなくて、
人生のすべては、自分が「愛」を感じる方向に進んでいくものだと私は思う。
自分が何に「愛」を感じるのかわからなければ人生はうまく進んでいかないし、
仮に今それが何か正しくわかっていなくても、
自分だけの「愛」のありかを見つける旅こそが人生なのだと思う。
そして、今年最大の感動の一つ、マイケルジャクソンの「This is it」にも
「愛(Love)」は頻繁に登場した。
スタッフに対して厳しいダメ出しをするマイケルはそのあとに言う。
「怒って言ってるんじゃないんだ、これはLOVEだからね・・・l-o-v-e.」
it's all for love.
・・・すべては愛のためだということ。
自分にとってどんなに最善のことをやっているつもりでも
仕事をしていれば当然、
立場の違いや焦点を当てる確度によっては、
必ずしも関係者全員に耳障りの良いことばかりではない。
前に進むためには、自分や、または誰かの意に沿わないことであっても、
強い気持ちでそれらを乗り越えなければならないことがある。
それでも、自分の心の中のl-o-v-eの文字さえ消さなければ、
時間がかかってもいつか必ず喜びを分かち合うことができるはず。。
今年は本当に沢山の愛をいただいてばかりだったから、
来年は私から大量の愛を放出できる年にすることが目標。
皆様からいただいたすべての愛に感謝して。。
Happy Christmas!
私の世代は、「ロスジェネ世代」とか「貧乏くじ世代」と言われている。
第二次ベビーブームで、子供の数だけはやたら多かったから、
受験戦争など、いつだって競争は厳しい幼少時代だった。
大学に入った頃は、ちょうど女子大生ブームからコギャルブームへ。
ボディコンを着てセンス振ったこともないけど、
ルーズソックスでセンター街を闊歩したこともない。
で、就職するときは超氷河期。
私が内定をいただいた企業では、
前年まで何十人といた同期入社が、その年だけなんと3人だった。
これは未だに最低記録。
よく誤解を受けるのだが、私は決してバブル世代ではありません。(笑)
ほんのちょっと上の世代がまさにバブルの恩恵を受けた世代なので、
そういう話を常に身近に聞いていただけに、
「なんで私たちだけ・・・」という絶望感は
むしろ今の若者たち以上だったと思う。
もちろん企業差や個人差はあるが、往々にして
入社後もだいたいバブル以前に大量に入社した先輩たちが役職を独占していて、
私たちの世代になかなかスポットライトはまわってこなかった。
それでも10年以上かけて色んなスキルを身に付け、
ようやく起業してみたら今度は百年に一度の大不況!
「よくこんな不況に起業しましたね」といろんな人に言われるけれど、
周りに言われるほど私にとってそれは大きな問題ではない。
だってどのみち、時代にいい思いをさせてもらったことななんてないもん。。
むしろ、これが百年に一度の大不況なら、
この時期にしっかりビジネスモデルが構築できれば、
きっとこの先牽強な会社になるはずだと思う。
起業してみてわかったことがある。
私が最後まで恐れ続けたのは、
この先に起こる困難そのものではなくて、
(起業することで)今ある何を失ってしまうのだろうかということ。
今の収入より、減ったらどうしよう。
今の家賃が払えなくなったらどうしよう。
今のような交友関係が続けられなくなったらどうしよう。
いつも考えるのは「今持っているもの」のことばかり。
過去との相対評価によってのみ、
人は今の自分をうまくいっていると感じたり
そうでないと思ったりするのだろう。
だから負け惜しみでもなんでもなく、
一期目としてはこれでいいんじゃないかと思う。
最初から何もなかれば、不幸を感じる基準すらない。
今沢山のものを持っていて、
失うことを恐れて生きる人生よりも、
「良かった時代」をいつまでも振り返って嘆く人生よりも、
「今何もないこと」が、未来を希望的なものに感じさせてくれる気がするのは、
私が極度のポジティブシンキングだからかな・・・(笑)
ちょっと年配の方にはよく、
いい時代を知らないから希望が持てない、
成功体験がないとか言われるけど、
今こそこの「不況慣れ」を強みに変えて、
新しい時代を牽引する世代になれる、
私たちにとって初めてのチャンス到来かも!?

同タイトルの前編は以前このブログでも紹介した。
24歳で起業し、アジア最貧国のバングラディッシュでバッグを生産。
現在では日本において直営店を6店舗展開するまでの企業になった。
その壮絶な起業ストーリーは、情熱大陸などでも紹介され、
マスコミに多数取り上げられている。
だが、彼女は常に、
「かわいそうだから買う」バックであってはならないという。
自分の活動がマスコミに取り上げられることで、
その話題性だけで商品が売れることも良しとしない。
なぜならそんなふうに事業が拡大しても、
それは豊かな国に生きる人の、貧しい国に対する「施し」に過ぎないからだ。
目の肥えた日本の消費者に、れっきとした競争力ある「商品」として販売できるだけの
仕組みとノウハウを発展途上国で作り上げる。
そのことで途上国に雇用と、真の経済的繁栄をもたらすこと。
彼女はその理念のために、どんな過酷な試練にも耐え続ける。
●自分が本当にやりたいことなんて、そう簡単にはわからない。
周囲からの情報や周囲の視線を断ち切らないと、
心の底にある声にも気がつかないことが多い。
まして日本に住んでいれば、そこらじゅうに情報や誘惑があふれ、
また、仕事をしていれば多くの時間もない。●会社を作ってからも、本当に正しいか、なんて分からない。
ただ間違っていたら、すぐにまたやり直せばいいさ、と思っている。
そして、次どうするか、ということを常に考え続け、探し続けている。人生はそんな繰り返しなんだろうとも思う。
環境が変わり、自分自身が成長したら、
また違うことを思ったり考えたりするのだろう。
そうやって、次の「章」へと進んでいくものなのだろう。人生とは、やりたいことや自分が幸福だと思うものを探し求め、
やってみて、違ったらまた探し、見つける。
そんなプロセスそのものだと、私は思う。●マザーハウスは、ストーリーとモノをセットで売っている。(中略)
こうした貨幣以外の価値について、人間は敏感になり始めていると
私は感じる。●重要なのは、途上国のために購入するというアプローチではなく、
「かわいいものがほしい」「かっこいいものがいい」という人間の普通の
"欲求"と真正面から向かい合い、満足度を満たすプロダクトを作りながら、
実は確実に途上国の雇用を増やし、
社会の利益とつながっている仕事をすることだと思う。●これまでの"ビジネス"のイメージを覆す「もの作り」のやり方を、
そしてビジネスのあり方を、工場のあり方を、
その「種」としてでもいいから、1ヵ国でも多くの人たちに見せてあげたい。
その人たちが、「やればできるんだ」と分かれば、
私が死んでも誰かがきっと何かをやるだろう。
その「種」を蒔けるかどうかが、大事なんだと私は思うのだ。

昨日の忘年会会場は夜景がとっても素敵でした!
今週は忘年会続き。。
かといって、浮かれポンチな年末を過ごしているわけでは
まったくございません。
今日も大きな政治的(?)壁にぶつかった。
最終的に誰が鍵を握るのか、私の判断が甘かったと反省しきり。
何事も、うまく事を運ぶためには
まず「キーマンは誰か」を見極めることが大事だ。
キーマンは必ずしも、社会的パワーや職位の高い人とは限らない。
逆にそういう形骸的なところだけで状況判断していると、
思わぬところで足元をすくわれる。
そういえば、以前にもこんな失敗をしたことがある・・・
ある会社の「社長職」の打診を受けたことがある。
私はまだ30歳そこそこだった。
今思えば実質的な権限を持たない「雇われ社長」だったけど、
当時はそれでもやってみたかった。
度重なる面接をクリアし、
最終面接、親会社の役員全員にぐるりと囲まれた。
それでも私は持ち前の度胸で、彼らのイメージ通りの
「元気で若々しいやる気溢れる女性社長」を演じきった。
特にオーナーにはかなり気に入っていただけている実感があった。
役員陣の反応も上々で、役員全員が私の採用に賛成した。
ところが・・・そこに盲点があった。
その中にたった一人だけ肩書きを持たない人物が座っていた。
そして実はその人物こそがキーマンで、
経営には参画していないものの、
彼がその会社の重要なノウハウをすべて握っていた。
つまり彼の存在が、その会社のコンテンツそのものだったのだ。
彼だけが私を怪訝そうに見つめ、
幾度となくネガティブな質問をぶつけてきた。
でも私は彼の言動をあまり重視せず、
役員陣に受けの良い対応にばかり気を取られていた。
結果的に、その会社の重要人物であるその彼ただ一人の反対を、
オーナーといえども覆すことはできず、
私は無念にも最後の最後で不採用となった。
そのことがあってから私は以前より慎重になった。
職位や決裁権だけでなく、
誰がこのテーブルで"本当に"一番大事な最後のカードを握る人間なのか・・・
そうやって精進を重ねてきたはずなのに、
大事なところで岡崎痛恨のミス・・・(_ _。)・・・シュン
ま、でも。
あのとき雇われ社長になんてならなくて良かったじゃない!(^∇^)アハハハハ!
だから今回だってきっと大丈夫。
っていうか、大丈夫なようにもっと理想的な未来を自分で創っていけばいい。
笑う門にしか福は来ませんから!
(^∇^)アハハハハ!(^∇^)アハハハハ!(^∇^)アハハハハ!