
先日観ていたテレビで、
頭脳線と生命線の起点が離れている手相のことを「KY線」といい、
空気が読めないタイプが多い、なんてことを言っていた。
日本人では5%程度なんだとか。
私は占いとか手相の類にほとんど興味がなく、
血液型でもなんでも、そもそもカテゴリ分けされる感覚があまり好きじゃないのだが、
ふと自分の手元を見たらまさにこの手相・・・
まさか。
そんなはずは!
まぁよく言えば、、
行動派、とか、芸能人やクリエイティブな仕事の人に多く、
相手の都合を優先するのではなく、
「こうすべき」と理想に突き進むのでいい結果が出る、
なんて表現しているサイトもあった。
まぁいずれも「自分流のやり方が大事」という点は共通していて、
それは確かに間違っていないし、
そのこと自体は決して悪いことではないと思う。
ただ、多分人より「見えてない部分」がちょっと多めなだけです・・・(笑)
人はそれぞれ、同じ世界に共存しているように見えても、
見ている世界が違っている。
自分に見えている世界は、その人にとっては紛れもない「現実」だが、
他者にも同じ「現実」が当てはまるとは限らない。
他者には他者が見ている、また別の「現実」があるのだ。
そこに気付かず、人は、
自分にだけはあたかも「客観的で絶対的な何か」が見えていると勘違いするから
非生産的ないさかいが耐えない。
最近つくづく思うのは、
「そこ、私には見えてません!」
って思いっきり認めちゃうことかなと。(笑)
私にはどうしても見えない死角の部分があって、
でも世の中には私の死角部分が鮮明に見える人もいる。
逆に、他者にはなかなか見え辛い部分でも、
私にはごく普通に、しかもずっと先まで見通せたりもする。
だったらそれでいいじゃない。
自分が見えないものは、他者に代わりに見てもらう。
自分が見えるものは、他者の分まで見てあげる。
以前の私は自分が「見えてない」ことにさえ気付かず、
他者との行き違いに焦り、憤り、
なんとかすべてを自分の眼で見ようと必死になって生きていた気がするが、
最近は良い意味での諦めがついた。
「見えてないこと」が問題なんじゃなくて、
本当の問題は、自分には何が見えていて何が見えていないかを
正しく把握できていないこと。
これさえ「正しく」気付けていればある意味怖いものはない。
KYですが、何か・・・?^^
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