夢は正しく手に入れる

本当は恐い話だった!

黒革.jpg

美しい犯罪者


私はほとんどテレビを見ないのだが、
2004年に放映された米倉涼子主演の『黒革の手帳』にはかなりはまった。
たまにDVDを借りてきて、全巻見返したりもする。


ご存知の方も多いと思うが、松本清張原作のこのドラマは、
原口元子という30代半ばの地味な女性銀行行員が、
業務上知りえた有力者たちの架空口座の情報を黒革の手帳に写し取り、
ある日その不正な金を横領して銀行を飛び出すところから始まる。

銀行側としても、もともと不正な金だから、
横領した元子を告発することができず、3年間用意周到に計画された
元子の犯行に地団駄を踏む。

元子はその横領した金で銀座に「カルネ」というクラブを開く。
「カルネ」はフランス語で「手帳」の意味だ。

最初は小さなバーだが、「黒革の手帳」に記載された情報を元に
元子は大物財界人たちをゆすり、巨額の金を手にしていく。


・・・と、ドラマでは米倉涼子扮する元子が、時折暗い影を見せながらも、
頭脳と度胸で次々と自らの野望を実現にしていく様子には小気味良ささえある。

なんといっても、米倉涼子の美貌と、長身で抜群のスタイルが、
銀座の夜の華やかなママファッションで艶やかさを増し、
見ているだけで惚れ惚れする。

更に爽快なのが、自分の力だけでのし上がって行こうとする元子の生き様。

それは横領やゆすりという「犯罪」には違いないのだが、
元子が横領したのはもともと「黒い金」
・・・脱税の隠ぺい工作用に作られた架空口座の隠し金だという設定が、
視聴者に元子の行為を「正義」にさえ錯覚させる。


そして元子と対象的に描かれているのが、釈由美子扮する波子。

波子は「女であること」を最大限に使い、次々と有力者たちをパトロンを付ける。
元子と同じように銀座で登りつめることを目指しながらも、
その実現方法は180度異なる。


元子は、犯罪といえどもあくまで「自分だけの力で」夢を掴むことにこだわり、
波子は、要領良く女の武器を使う。
その対比がまた、元子の犯罪行為を潔く感じさせ、
視聴者の感情移入を誘う。

私なんかはもう完全に元子擁護派なので、
15年間、銀行の「白い壁」だけを見て、
どんなに誠実に業務をこなしても男性行員のように出世することもなく、
ただひたすら人様のお金を数えるだけの毎日から抜け出し、
男社会に復習してやりたかった元子を心から応援したくなってしまう。

本当に掴みたい夢があるなら、
例え誰かに恨まれたとしても何が何でも奪い取る、
それくらいの強烈な意志の力がなきければダメだと、
自分自身の教訓にさえしている。
もちろん犯罪はマネできないが、誰の助けも借りずに自分の店を持ち、
銀座のトップに君臨するのだというその野望への激しい情熱と覚悟は勉強になる。


私にとって『黒革の手帳』は、心が折れそうになったとき、
周囲の目が気になって自分の意志に反する対応をしてしまったとき、
こっそりと自分を「アゲる」ために見るドラマなのだ(笑)。


原作とのギャップ

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ところが昨日、このドラマの原作小説を読んで、
私の『黒革の手帳』に対する印象は一変した。

まず、原作で描かれる元子は決して米倉涼子のような美人ではない。
銀行の男性行員たちにも、15年間まったく興味を持たれなかった女の侘しさが
たびたび強調されている。


原作でも産婦人科医の楢林から5000万円はゆすり取るものの、
ドラマのように銀座有数のクラブ「ロダン」を手にする派手なシーンはない。
なんだかんだ言って、元子をかって最後は見方になってくれるような
大物財界人も存在しない。

原作では関係者全員が最初から元子を騙す目的で「ロダン」買い取りを持ちかけ、
元子はその罠にまんまとはまり保証金と違約金ですべてを失う。
「ロダン」を自分のものにする夢など一瞬たりとも叶わない。

また、ドラマでは中村トオル扮する安島との恋愛だけは
「本当の愛」として切なく描かれているのだが、
原作ではこの安島さえも、始めから元子を騙すためだけに近付いている。


原作の設定によれば、
すべては銀行時代の上司で、元子の件で退職に追い込まれた男の復讐劇で、
元子が好意を寄せた安島さえも、彼女を騙す目的で肉体関係を持ち、
それぞれの愛人たちが元子を慕っているかのように見せかけて結託し、
最終的には波子が「カルネ」も「ロダン」もすべて手にするという、
男からも女からも総力戦で騙される恐ろしくて屈辱的なストーリーなのである。

物語の後半、騙されていたのは自分だと気付く事実が次々と発覚。
狼狽する元子の姿に、欲望の果ての愚かさと哀れさが見事に映し出され、
背筋が凍る思いがする。


更に最終場面で、気も狂わんばかりに波子に掴みかかった元子は、
安島の子を流産して救急車で搬送されるが、
搬送先の産婦人科には、
かつて元子が5000万円を騙し取った医師とその愛人が待ち構えており、
「助けて!わたしはこの二人に殺される!」
と叫ぶシーンで物語は唐突に終了する。

なんかもうオカルト小説に近い感じ(笑)。


私が好きだったテレビドラマの『黒革の手帳』は
実はかなり美化されていた。。


確かに、どんなに意志が強かろうと自分の力で生き抜こうと、
人間の犯す犯罪とは醜悪なもので、そこに「美学」など存在するはずはない。


松本清張が描いた原作こそが、
現実の人間社会を的確に表現しているように思えた。


女性に対する時代の移り変わり

ちょっと話はそれるのだが、
ストーリー以上に驚きなのが、
昭和50年代に描かれたこの原作小説には、
現代の感覚ではありえない「女性蔑視」が満載なところだ。

「30を過ぎたいい歳の女が会社に居座るのは」とか、
「30半ばの手に職もない未婚女性はバーでもやっていくよりほかない」とか、
「20代ならいざ知らず、30過ぎにもなった中年カップルが」、
「30を越えて熟れきった体」とか・・・

あまりにも頻繁に30代女性を蔑む表現がさらっと書いてあるから、
当時はそれがごく当たり前の感覚だったのだろう。
アラフォー全盛期の今の時代において、30代などまだ「若手」の域なのに(笑)。


最も私が衝撃的で何度も読み返してしまったのが、この表現。

「30代半ばの中年増」


ちょっとちょっと、中年増って一体何よ!!



夢は正しく手に入れよう。


そして、


女性の表現方法にはくれぐれも気をつけよう。

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