年齢を重ねて手に入れるものと失うもの

まだ渡れない(渡りたくない)川

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ババァの川


私の人生の師匠である女性社長に、
誕生日にいただいた深くてありがたい言葉。

>35~40歳の間に「ババァの川」ってのがあって、
>これを渡っちゃったらもう戻れないの(笑
>すっかり渡り終わっているのに、渡っていないと思っている女性を「痛い」という。


バ、ババァの川・・・・

渡ったら二度と戻れない・・・


超恐い。。

けど、なんかものすごくわかる。。

傍から見たら完全に渡り終わってるのに、まだ渡ってないと思ってる人も
確かにいるいる!!(笑)


・・・と、ひとしきり盛り上がったあと、遠い目になった。


笑えないよ、これ。


20代の頃は<30歳>の境目を異常に恐れていたけど、
30代前半は、見た目も、体力的にも、そして「モテ」の観点からも、
実はそんなに変わらなかった気がする。
女子が恐れているほど、30代とかって殿方は気にしないんだ、
と思った覚えがある。

「行かず後家」と大騒ぎしていたのは実家の母親くらいのもので、
特に東京のような大都会でITベンチャーなんかの仕事をしていると、
そこは多分、日本有数のエイジレスな世界だったからかもしれない。


今ふと思い出したのだが・・・

私が新卒で入った会社では、
なぜかどこに行っても入社年度でカテゴリ分けされていて、
名前と「○○入社」というのが常にワンセットになっていたけど、
今思えばあれは一体なんの風習なんだろう・・・?

○○には、西暦の下2ケタが入るのだが、使い方としては
例えば「97入社の岡崎さん」という感じ。

これを、キュウジュウナナではなくて、キューナナと読む。

「キューナナってほかに誰がいたっけ?あー、●●ちゃんと同期ねー」

「ってことは、キューロクの●●くんのほうが先輩なんだー。意外~。」

「そういえば、ゼロゴーの●●くん結婚したの知ってる?」


という「入社年度縛り」が常に日常会話の前提となる。


それ以降の会社は全て新興ベンチャーで中途入社が普通だったから、
この「入社年度の西暦下二ケタを冠にする制度」は全く普及してなかったけど、
これって世の中の会社では一般的なことなのかな??


個人的なの感覚としては、西暦でカテゴリ分けされるのは好きじゃない。

「キューナナって岡崎さん以外全員結婚してるよねー」とか。

(-_-メ)


キャリアも結婚も本来年齢に比例するものじゃない。

個人個人、本当に納得がいくものを手に入れられる時期は違っていて当然でしょ?


勘違いできる幸せ

・・と、根拠のない自信にみなぎっていた私も、
さすがに最近ババァの川がひたひたと近付いているのを実感する。


少し前までは、こんな私でも、
初対面の殿方と話しているときなど、
「あれ?この方・・もしかして私にちょっと興味があったりして!?」なんて
思う瞬間が時々あった。

※注)この直感が正しいか勘違いかというのは、
   ここでの議論のポイントではないので、
   「ムカッ」とかして閉じるボタン押さないでください。


問題なのは、
最近この、「もしかして!?」の感覚すら全然わかないということ。

そういう異性特有の"視線"を感じる瞬間が明らかに激減している(笑)。


お陰様で人間として信頼してくださる方は格段に増えたと思う。
それは本当にありがたくて幸せことなのだが、
その喜びと、あの「もしかして!?」は全然種類が違うものだ。

「もしかして!?」のほうは、ハッキリ言って人間性とは無関係だ。

むしろ奔放に自己中的に振舞っているほうが「可愛い」「魅惑的」「癒される」
などと評されたりする。


最近、仕事面では、
初回の打合せで、その会社やご担当者と縁があるかは
なんとなく匂いでわかるようになってきた。

これは営業テクニックとかではなくて、経験と共に自然に身に付いた感覚。

ご縁を感じないところに、何度マニュアル通り訪問しても無意味だ。
もちろん、友達を選ぶわけじゃないので
担当者と「気が合うかどうか」というような単純な話ではない。

うまく説明できないのだけど、その分野で大量の商談を重ねてようやく見えてくる
ビジネスセンスというか商売の勘どころのようなもの。
目先の利益を越えてお互いに方向性を共有できるかどうか。


「もしかして!?」という異性からの熱い眼差しを失う代わりに、
人として価値のある間違いない人間関係を築く能力を身につけること。


歳を取るってそういうことなのかな。。

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