私は脳機能学者でカーネギーメロン大学博士の
苫米地英人氏の著書が好きなのだが、
先日も彼の著書を読んでいたら、私が日頃思っていることに
非常に近い記述があった。
●営業マンとして働いている読者のみなさんは
会社とどう向き合っていくべきか。
これからどう自己実現に向かって進むべきなのか。営業の仕事という視点で言えば、道は二つです。
一つは営業のプロとして個人事業主となる道です。
外資系企業ではよくありますが、会社と対等に契約を交わし、
売上に応じて歩合制でギャランティをもらうというものです。もうひとつは、従業員として働くけれど、営業成績が
正しく給与に反映されるというモデルを取るかです。(中略)
自分が上げられると思う売上を先に提示して、
「私はこれだけ売りますから、これだけください」と
会社に交渉すればいいのです。これをしないのが不思議でなりませんが、できない理由としては
二つ考えられます。ひとつは営業マン自身が自分に自信がないケース(中略)
もうひとつは、旧財閥系に多いパターンですが、
会社の給与体系がガチガチに硬直化していて、
いかなる従業員に対しても特例が認められないというケース(中略)
●自己実現は会社に求めず、自分でやること。これが基本です。
ただし、会社を自分の自己実現に利用することは自由です。あなた自身が本当にやりたいことを見つけ、
そのやりたいことを実現するために会社を利用するのであれば、
あなたは奴隷ではなくなります。
奴隷ではないけど、奴隷のふりをして、密かにスキルを蓄えつつ、
時を待っている人になるのです。
アメリカなどでは、『フリーエージェント』という形で、
営業マンでも特定の企業には帰属せずに、
個人が複数の企業の商材を持ち歩き、営業する(もちろん成果報酬)ことが
成り立っていると聞く。
日本では保険などの一部の業界で採用されてはいるものの、
まだ一般的ではない営業を独立した「専門職」と捉える考え方。
私はこの先日本でも、
そのような働き方が自由に選択できるようになればいいと思う。
そんなふうに考えるようになったのは、
以前から起業支援事業をやったり、
私自身が「雇われない生き方」を目指したいと考えてきたからなんだけど、
最近、『デジパ・クリエイターズネット』の皆さんと
日々お仕事をさせていただいて、その想いが日に日に強くなる。
毎日多くの個人事業主や、数人規模の制作会社の社長さんと
お会いする。
仕事の性質によるところが大きいのだが、
Web業界は、日本でもフリーランス化が最も進んでいる場所だ。
フリーランスや起業家という生き方にもっとスポットを当てたい。
ここで私が言っているのは、単に勝手気ままに生きている人たちを
指しているのではない。
自らリスクをとって、自分の「実力」だけで正当に勝負し、
対価を得ていきたいと考える、本当の意味での
「自分を信じる力」と「心の自由」を得ようと努力する人たち。
私はこの事業を通して、
「自分の価値」に真剣に向き合って生きる人々を支援していきたい。
今日もクライアントさんとの打合せの帰り、
同行していたクリエイターさんといつの間にかそんな話で熱くなって、
気が付いたらマックで一時間以上が経過していた・・
彼も私がどうしても応援したい、誇り高きクリエイターさんだ。
将来の不安を言えばきりがない。
だが、今の選択の精度をあげる努力次第で、
未来はいかようにも変えられる。
少なくともそう信じ続ける私たちでいようと(笑)。
私が苫米地氏の著書をよく読むようになったのは、
最初に読んだ本にこんな箇所があったから。
時の流れは、過去から未来に向けて流れているものだと
多くの人が思っている。
だから過去の積み重ねに現在があるとか、
今の現実は過去の自分が作ったものだとか、
そうやって過去の自分を反省させるような自己啓発書が多数存在する。
だが、過去から未来に向かって時が流れているという概念は
キリスト教の価値観によるもので、
キリストが生まれた時点から紀元が始まり、
そこから暦が刻まれるようにキリスト教が定めたときから
人々はそれを普通に信じるようになった。
だが実際は逆方向で、
時は未来から過去に向かって流れているのだと苫米地氏は言う。
川の流れを想像して欲しい。
川上は未来、川下は過去。
自分を川下から川上へ向かって上っていく一隻の小船だと考える。
つまり過去から未来に向かって進んでいる。
川上、つまり自分の前方からからボールが流れてくる、とする。
それを掴むか掴まないかは、自分自身の「現在」の選択にかかっている。
掴めばボールが自分の手に残る。
掴まなければそのまま、川下、つまり過去に向かってボールは流れていく。
要するに、「過去」というものは、「未来」からやってきた出来事を、
「現在」の自分がどう判断し行動するかによって決定され、
その結果が「過去」に向かって流れていくというだけのこと。
わかるだろうか。
決して「過去」の積み重ねの結果「現在」があるのではなくて、
「現在」の選択の結果が「過去」なのである。
もし、「過去」の積み重ねの上に「現在」があって、
更にそれを積み重ねて「未来」ができあがるのであれば、
あなたの将来はもはや「過去」の出来事によって決定付けられており、
変更不能ということになる。
でも現実は違う。
人生はどのタイミングからでも間違いなく変えることができるし、
「過去」の認識自体も、本人の感覚によって容易に変化する。
例えば、昔貧乏で何をやってもうまくいかない時期があったとする。
あなたは、その「過去」をずっと、思い出したくもなく苦しいものと考えている。
ところが、そんなあなたがある日突然成功して大金持ちになったとする。
そうすると、あんなに苦しかった過去が突然、
「あの時代があったお陰で今の自分がある」という素晴らしいものになる。
つまり、「過去」に対する認識というのは、
あくまでも「現在」の状態からみた、「結果論」に過ぎないのである。
だから、過去の自分の選択を悔いることには何の意味もない。
過去の認識なんていとも簡単に変わるものなのだから、
今目の前に流れ着いたボールをその手に取るのか取らないのか、
つまり、これから先、未来から流れてくる新しい「現在」の選択にだけ
集中すればいい。
「現在」の選択の精度を高めていくことだけを考えれば、
その結果である「過去」も必然的に素晴らしいものになるのだから。
・・っていうようなことが、自己啓発的にではなくて、
脳科学者らしくロジカルに説明してあって、
私にとっては画期的な逆転の発想、まさにパラダイムシフトだったんだけど、、、
うーん。。
あまりうまく説明できた気がしないので、
詳しく知りたい方は苫米地氏の著書にてご確認ください・・・
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