
週末、都内の二箇所の美術館で同時開催されている
ピカソ展を観にいった。
ピカソは、よく知られているように
作風がめまぐるしく変化した画家として有名であるが、
中でも私が最も印象的だったのがキュビズムの時代。
19世紀までの絵画は、対象物(神話、風景、静物、人物...)を
一つの視点によって描くというのが伝統だった。
そこに、対象物に自分の心象を反映させ、
さまざまな手法を使ってそれを絵にしたのが、
セザンヌやモネに体表される、いわゆる「印象派」である。
「キュビスム」はそこから更に新しい次元を用いたのだが、
それは複数の視点であり、対象物の分析という視点。
例えばギターはばらばらに分解されて、また再構成される。
また、絵画に実際の新聞紙を張り付けるなど
「異物」を混入させることで、絵画の意味を問い直す技法も見られる。
例えばこんなふうに・・・

私たちはよく、ピカソのような絵を「抽象的」と表現する。
だが、ピカソはこんなふうに言ったという。
この世の抽象的なんてものは存在しない。
すべては目の前にある物体から始まっているのだ。
ただ、それをその物としに認識しているのは
人間の意識の結果に過ぎなくて、
だから、私は目の前にある三次元の物体を、
一度自分の中でバラバラに分解する。
そしてそれをキャンバスの上で組み立てなおすのだ。
ピカソがどのような意図を持ってこう言ったか
凡人の私には想像も及ばないが、
ピカソの絵を見ていて私の中で考えたことがあった。
目の前の事象を楽しいとか悲しいとか思うのは、
ただ私の「意識」が勝手にそう判断しているだけなのかもしれない。
つまり、これは「正しくないこと」だとか「ありえないこと」だとか
日々私が判断していることにはなんの事実性もなくて
目の前で起きていることは目の前で起きていること、
ただそれだけなのだ。
その人の過去の経験や価値観からくる「意識」というフィルタが
人間に様々な感覚をもたらしていて
私たちはその「自分の感覚」という不確定なものを
あたかも普遍の真理でもあるかのごとく思い込む。
ピカソの絵のように、
一度全部ばらばらにして組み立て方を変えてしまえば
同じ事象も全く違った形で見れるようになるかもしれないと、
そんなことを考えた。。
それともう一つ、
ピカソの絵を見ていて思ったことがある。
キュビズムの考え方は
新規事業の立上げに似てるかもしれない。
例え市場や業界が違っていても、
そこには必ず一貫した法則みたいなものがあって、
私は、新規事業を手がけるとき、
その私の中の型みたいを、一度全部バラバラに分解する。
そしてもう一度、時流やターゲットという新しい概念、
また、業界事情や競合といった逆風、つまり「異物を」混入することで、
私なりのイメージを適切な形に再度組み立て直すのだ。
「感覚はデフォルメ(歪形)し、精神はフォルメ(形成)する」
まさにその通りだなぁ・・・
っていうか、最近私余計なこと考え過ぎかなぁ・・・(笑)
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