【書評65】株式会社はどこへ行くのか

もっと早く本が読めるようになりたい

私の速読術

週末はだいたいまとめて3.4冊の本を読む。

平日は仕事が遅いことが多いのだが、
それでも営業中の移動時間だけで、週1.2冊は読める。

そんなことをずっと続けていたら自然と本を読むのが早くなった。

この週末、また一段と早くなったような気がして
自分でも驚いた。


よく、どうやって読んでるのかとよく聞かれるが、
いわゆる速読本にあるような、
ページを画像として写し取るとか、意識を頭の後ろに集中させてなんとかとか、
そういう特殊な技術ではない。

飛ばし読みに近いかなぁ。。

大量に本を読んでいると、
ページを眺めた瞬間に、じっくり読むところと、流し読みするところが
無意識に判別できるようになってくるのだけど、
この感覚は説明するのがとても難しいので、また改めて・・


上村達男・金児昭著

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少し前、村上ファンド事件や、ホリエモンが逮捕された頃、
この手の本が本屋には溢れていた。
買ったものの、その類の議論に飽きてそのままになっていたが
時間をあけて読んだら意外と面白かった。

この本では一貫して、株式会社も証券市場も人間のためにある、
それも最大多数の人間のためにある、ということを述べられていて、
そもそも市民社会に市場原理の考え方が根付いていない日本社会に
後付けにアメリカ型の制度だけを導入したために歪みが生じた
根本的な問題点を問うている。

しかもその市民社会のごくごく当たり前の原理を無視して、
本来公正な社会をつくる責任のあるエリートたちが
こぞってループホール(抜け穴)を探している。
ファイナンス理論という仮説の話が、現実の生活を反人間的なものに
していることを指摘している。

■ヨーロッパでは株式会社に対して警戒な規制をする仕組みを
 もっています。日本の無警戒は、エリートたちがこの面で知識を
 発揮しようとせずに、制度の不備を突く側に回っていることによるような
 気もします。
 アメリカ型の最大の自由を日本に導入するには、市民社会の成熟を
 前提といて、最大の規律で株式会社をコントロールする仕組みを
 再構築しなければなりません。
 (中略)
 しかし、標準装備がないままに、厳しい規律があってようやく維持している
 アメリカの自由の側面だけを無批判に受け入れてしまったのです。

■いま日本では会社は株主のものだ、株主が所有者だといってますが、
 法律的には所有でないことは明らかです。
 (中略)
 株主が提供したおカネの所有者は会社になるのであって、それは
 あまりに当たり前ですね。株主は変わりに株式を取得して、
 株式の所有者になるのです。これはもっとも基本的なことです。
 株主が会社財産の法的な意味での所有者ではない、これが議論の
 出発点です。
 (中略)
 「株主は株式の所有者である、ということが、なぜ会社の所有者であるという 
 話になるのか」

■公正な証券市場があるという前提で国際会計基準を取り入れるならいいけれども、
 それができていないのに中途半端に証券市場を前提とした制度がいっせいに
 入ってしまいました。時価会計もそうですね。キャッシュフロー計算書もそのまま
 片仮名で入ってしまいました。

■たとえばある大企業の経営者が、「株主よりも従業員が大事だ」といったときに、
 そこでいう株主というのは、一般の個人投資家のことを想定しているんですよね。
 しかし、自分たちの経営権を正当化してくれている法人安定株主には、
 頼りきっているのです。

■ヨーロッパだと共同体の歴史というのがあって、上に立つ者の尊厳、
 ノーブレスオブリージというものがあるでしょう。その中でも、
 ジェントルマンであれ、というのは、法律以上の高度の規範意識ですね。
 (中略)
 伝統社会のもっているよさというものがる。欠点も多いけれどもよさもある。 
 そのよさをうまく使いながら企業が本来もっているミッションの実現のために
 役立つ金融・資本市場のあり方を追求していくべきです。

 

ノブレスオブリージュという考え方

この本の趣旨とはずれるが、
ノーブレスオブリージは、
私は「ノブレスオブリージュ」という発音で記憶しているのだが、
直訳すると、
「貴族の義務」あるいは「高貴な義務」という意味。

前職で起業支援事業をしていたときに
ある経営者さんが教えてくれた言葉だ。

持てる者はそれを他人に与える義務があり、
そうやって社会のあるべき秩序や循環が保たれていくという
ヨーロッパに古くからある考え方だ。

富める者に自発的な無私の行動を促す、明文化されない社会の心理である。

例えば、アメリカでは裕福な人物や著名人が
ボランティア活動をする事は当然とされる。

起業支援やインキュベーションも
本来そういう意識で取り組むべき類のものであって、
自ら実際に起業をし、成功し、
財産、人脈、権力のすべてを手にした人間だけができるものだから、
私のように、起業支援をビジネスとして、仕事としてやっても
それは多少のお手伝いにはなるかもしれないが、
単なる自己満足に過ぎなくて、
本当の支援にはまったくなっていないのだよと。

ビジネスを成功させるだけの豊富な資金と知恵と、
そのために有効な人脈や、人を動かす権威、実績、
その何か一つでも私が起業家たちに与えるものがあるのかと言われたとき
とてもショックだった。

だって、確かにない、のだもの。

一つも。。


だから私は事業計画を添削したりするだけの評論家みたいな
起業支援活動は辞めて、
事業会社でゼロから自分で事業を立ち上げることにした。


それがデジパでベトナム事業を始めた理由。


私の中で、「ノブレスオブリージュ」はとても好きな概念だが、
同時にこの言葉を聞くと、
まだまだ人にも社会にも「与えられる」だけの自分の存在に気づいて
ちょっと切なくなる言葉である・・・

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